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Lylica第1章
2003年5月
有羽 作


 焼却炉の煙突からたなびくけむりの行方を、私はただぼんやりと見つめていた。
肉体が灰になってしまったあと、魂はいったいどこへいってしまうのだろう?
2000年8月10日、恋人はこの世を去った。
焼き場で見た彼の骨は真っ白で、あんなにも強く私を抱きしめてくれた腕も、優しいぬくもりをくれたその肉体のすべてが灰となってしまった。
真っ青な夏の空にのぼってゆくけむりをみながら、‘きっと彼の魂も私の手の届かない遠い世界に旅立っていくんだ・・・私をひとり置き去りにして、ずるいよ。’頭の中でそんなふうにつぶやいていた。
弔問客は口々に‘まだ若いのに、可哀想に・・・。’そう言っては皆、涙をぬぐっていた。
私は心にぽっかりと穴が開いてしまったというよりは、どうあがいても抜けない大きな杭を胸に打ち込まれたような重苦しい気分だった。
なぜだか涙はこぼれなかった。
もっとも、ここ何日かは散々泣いていたが、昨夜からそんな悲劇のヒロイン気取りに浸っていた自分に気がついてしまってからは涙も出なくなってしまった。

 彼への思い、彼との思い出と決別することはできなかった。
その代わり彼が好きだと言った、長い髪を切った。
今は少しでも、気持ちが軽くなれれば何でもよかった。



 彼女の言葉を初めて目にしたのは、風の強い日の古本屋の店先だった。
偶然、風が開いたその本のページにとても興味を持ったんだ。
その新鮮な響きの言葉の羅列に・・・。
‘まずい、もうこんな時間だ。そろそろ現場に戻らなければ・・・。’
俺はそのうっすらと日に焼け埃をかぶった本を掴むと、奥のレジへ向かった。
レジにはいかにも古本屋らしい風貌のおやじがいて、レジの前にはこの店には似つかわしくない真っ白なペルシャ猫が大きな体を横たえて眠っていた。
店主らしきそのおやじは、俺のことを遠慮ない目つきでじろじろ見たが、どうやらありがたいことに‘どこかでみたことがあるな・・・’という程度の関心しか示さなかった。

 その日、俺はロケで訪れたこの街に興味をもち、待ち時間を利用して気ままにあちこちを歩き回っていた。
そう、テレビを見ているたいがいの人は、俺のことを“アイドル”って呼ぶ。
でも眠る時間を惜しんで、曲も作るし、詩も書く。
舞台の構成だって自分で考えるし、こう見えてもいっぱしのアーティストのつもりだった。

 その晩、俺は自分の部屋に戻ると、あの古本屋で買った本のページを夢中で開いていた。
気がつくと時計の針はもう、夜中の3時をとっくに回っていた。
その本は詩集で、最後のページに、“2000年3月10日 初版発行”とあり、著者名は“垰野(たおの)リリカ”とだけ印刷されていた。
‘リリカ・・・なんて変った名前だな。’
俺はこの本の著者にとても興味を持った。
彼女の言葉と彼女自身に。
そして翌日、早速、出版社に問い合わせの電話を入れた。
電話の相手は面倒そうな態度で、‘今、担当者が不在なので折り返しお電話します。’と言った。
俺はしばらく考えて、事務所の電話番号を伝えた。
それから、夕方近くに携帯電話に事務所から、連絡が入った。
出版社から連絡がきたらしい。
担当者の名前を聞いて再び電話をした。
相手は芸能人と分かったからなのか、うって変わって丁寧な対応だった。
どうやら、あの詩集は自主出版で製作されたものが、巡りめぐって古本屋の店先に並んだらしい。
著者と連絡を取りたいといったら、プライバシー保護の関係上、教えられないと丁寧な口調で断られた。
ただ、この本が出版された2000年当時、著者は大学生だったらしいということだけ分かった。
きっと、俺より二歳か三歳くらい年上の人なのだろう。
俺は益々、彼女に会ってみたいと思った。

 そしてそれから、三ヶ月ほど経ったある日、俺は偶然にも彼女と出会うことができた。
もうきっと、会えないだろうと自分に言い聞かせるように日々を過ごしていた。
実際、彼女の本も車のダッシュボードの上にずっと置いたままになっていた。
ある天気の良い午後、友達と食事に行く約束があった。
友達は服飾関係の本を探すから付き合って欲しいといって、俺の車で広尾にある都立の図書館まで出かけることになった。
二階にある社会科学室という部屋に俺たちはいた。
友達が探し物をしている間、俺も興味深くそこに並んでいる膨大な量の本を眺めていた。
各階にカウンターがあって、探したい資料について色々と相談に乗ってくれるらしい。
こんな所に来る機会なんてまるでなかったから、なかなか興味深い。
今度、創作に行き詰まったら一人でふらっと来て見ようかな・・・などと思っていた。

その時だった、カウンターのほうからこの図書館で働いているらしき女性の話し声が聞こえて来た。
「リリカ、お昼食べ損なったんでしょ。今なら大丈夫そうだから、行ってきたら?」
「有難う。じゃあ、ちょっとだけはずすね。」
その話し声に俺はとっさに席を立とうとした女性を見た。
胸には「垰野(たおの)」というネームがついていた。
次の瞬間、俺はもう彼女に話しかけていた。
そして内心、そんな大胆な自分に驚いていた。
「あのー、垰野リリカさんですか? 僕、あなたの詩集を読んだ者ですけれど、あなたにずっと会いたくて出版社にまで連絡したんです。でも、連絡先が分からなくて・・・。図々しいお願いなんですけれど、俺の話を聞いてもらえませんか?」
俺は息継ぎもせず、戸惑う彼女に向って、一気にそうまくしたてた。
「すみません、これから食事をしなきゃならないし、今、仕事中なので・・・。」
それだけ言うと、彼女は逃げるように小走りにエレベーターに乗り込んでしまった。
驚いた友達が駆け寄ってきた。
「なんでもないよ。知り合いかと思って声をかけただけだから。」
俺はそういうと、前のカフェで待っているからと彼に告げて図書館を出た。

 カフェの一番奥の席に腰掛けた俺は、ダッシュボードに置きっぱなしだった彼女の本を手にしていた。
パラパラとページをめくってみた。
そこにはひっそりと寄り添っている恋人同士の姿がリアルに息づいていた。

コニー・アイランドの
恋人たちのように
うつろな愛からは
遠く離れたところで
肩をふるわせている
ため息をつきながら

霧の中のサム・トリッピング
どうどうめぐりの二人に
うなづいてくれる木馬たち
抱きしめた顔も
霧につつまれて

愛を突き刺してみたい
もう少しだけ
見つめあってもいいから
時を燃やしてみようよ
夜の底で眠る遊園地
飛び越えて

すきとおった朝が来るまで
すきとおった朝が来るまで

 彼女の言葉はとても新鮮で、そこには不思議な切なさがあった。
こんなにも思いがけず会えるなんて、神様に気持ちが通じたのかもしれない。
俺は彼女が何を思い、考えて、詩を書いているのか益々興味を持った。
今日はあんなふうに逃げられてしまったけれど、次は絶対に話しを聞いてもらおうと、性懲りもなく考えていた。




 今日は天気の良い土曜日だった。
いつもより図書館の中は混んでいた。
ここで働いている私にとっては、こんな気持ちの良いお天気さえも目まぐるしい一日の原因のひとつに過ぎなかった。
少し人気のなくなった館内を見回して、同僚の女性がお昼に行くように促してくれた。
その時だった、見知らぬ青年が声を掛けてきた。
驚いたことに彼は私の詩集を読んだという。
封印していた過去をこじ開けられたようないたたまれない気持ちになって、私はその場を逃げるようにエレベーターに乗ってしまった。
よく顔も見なかったけれど、悪い人ではなさそうだった。
彼には少し悪いことをしてしまったかもしれない・・・。ちょっぴり自己嫌悪に陥った。

 その日は土曜日なのでいつもより早めに仕事は終わった。
春が近いのだろう、以前よりも夕方が明るい。
今は都内に一人暮らしだったが、私は気がつくといつもの駅を乗り越して海にたどり着いていた。
彼とよく来たこのマリーナ。
仲間たちと数人でよく遊びに来た。
彼の運転するオンボロの軽自動車で私たちはよく出かけた。
そして、気がつくといつも海に向っていた。
‘海に行けばよいことがある・・・。’あの頃は本当にそんな気がしていた。
私も彼も、仲間たち誰もがきっとそう信じていた。
あの日、彼が突然の事故でいなくなるまでは。

 詩を書くように私に勧めたのも彼だった。
彼・・・“須藤 龍一”はロックとバイクとボブ・ディランを愛していた。
大学一年の秋、私の大学の学園祭に歌いに来たのが彼だった。
学園祭の実行委員をしていた私は、必然的に彼と会話する機会があり、それから私たちは一ヶ月もしないうちに周囲からは恋人同士と分かるような二人になっていた。
ボブ・ディラン、ジャック・ケルアック、彼は私に新しいさまざまな音楽や小説やらを教えてくれた。
子供のように瞳をきらきらさせて・・・。
私は彼のナイーブで純粋な心を敬い、愛していた。

 気がつくと夕日もすっかり見えなくなり、辺りは真っ暗になっていた。
思い出さないようにしていた彼とのこと・・・まだ、ちょっとだけ胸が苦しい。
今はまだ、この海の暗い波間に吸い込まれてしまいそうな、そんな気分だった。


つづく
                                                        

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